第32回目の旅 北東北 前編 三陸その1 2007.7.27(金)-8.3(金)

しばらくぶりにブログを再開しようと思っていたやさき、2011年3月11日の東日本大震災が発生した。
 当分の間は何もする気さえ起らなかったが、4月に可部線跡地めぐりをすませると、4年前に行った北東北の旅を、どの旅にも優先して整理しておこうと思うようになった。

 北東北の旅は前編を三陸(その1及びその2)、後編を津軽とした。
 (ブログ作成中に字数制限の表示が出たため。)

 三陸には、好きな作家の一人である吉村昭さんの著書「三陸海岸大津波」を携え、著書に記されている土地をたどって行った。

 また、日記代わりに書き送っていた妻宛の携帯メールを、できるだけ原文のまま載せた。
 
 なお、3月11日以降のできごとについても併記した。

自作の腰折れを2首。

  「一人旅で 言葉交わしし人想う 津波のがれて生きてあれよと」
            (ひろしまよみうり文芸 2011.6.22入選)

  「田野畑の 宿の女将がたたずめる 津波の跡の写真切り抜く」
            (2011.6)

どんな旅

 三陸は憧れの地。列車本数の極端に少ない山田線やの盲腸線で有名な岩泉線、三セクの三陸鉄道がある。景勝地も多い。盛りだくさんな旅になった。

初めて乗った線

気仙沼線の一部(前谷地ー気仙沼間)→気仙沼線完乗
山田線の一部(釜石ー盛岡間)→山田線完乗
岩泉線 全線(茂市ー岩泉)
三陸鉄道北リアス線 全線(宮古ー久慈)
八戸線 全線(久慈ー八戸)

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     (地図は2011.8.1現在。赤線は不通区間)


1日目 7月27日(金)

 大町発7:39 広島8:18発ののぞみで東京。12:36のやまびこで仙台着14:32.。
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           (仙台駅の七夕飾り)


 12分ほどで東北本線に乗り換え小牛田15:29着。すぐに気仙沼行きに接続し。しばらく石巻線を走り、前谷地から気仙沼線に入って広島から約10時間で17:38気仙沼駅についた。
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            (気仙沼駅)

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          (黄昏の気仙沼市街)


(妻宛メール 7/28早朝に書いて即発信)

 天気は良かったのに富士山は見えなかった。那須岳が見えた。
 仙台駅は七夕飾りがいっぱいで、ビデオで撮っていたらあやうく電車に乗り遅れるところだった。

 小牛田で石巻線に乗り換えると本を読んでいる八十歳を超えていそうなおじいさんと相席。車窓をきょろきょろしていたからか「旅行ですか」と声をかけてきた。ジパングクラブがどうのとしゃべるので、正直ちょっと迷惑だなと言ってはナンだが、「樅の木は残った」で知られる涌谷を過ぎた頃から波長が合いだし、なまりで聞き取りにくいものの次々と短い言葉でタイミングよく車窓を案内してくれた。
 聞くのを躊躇していたチリ地震のことも、口ぶりから察したのか、海が川をさかのぼって来たなどと話してくれた。
 (注 線路が川と平行していた風景を記憶しており、地図と重ね合わせてみると、志津川湾に面した南三陸町の陸前戸倉駅から志津川駅の間で交わした会話と思われる。駅も線路も津波で壊滅)。

 小泉駅辺りでは、平家物語に出てくる佐藤忠信、継信の母の菩提寺があることや、藤原氏を富ませた金山のことなど話題が豊富で面白い。本吉で降りてしまい残念。

 気仙沼の駅からバスで宿へ向う途中、運転手におじいさんがおいしいから是非にと教えてくれた磯村という店のことを聞くと、「割烹旅館だから一人ではどうですかね」とのこと。たった一人のお客の女性が、「えびす振る舞い」はどうですか」と勧めえてくれたが、なんと泊まった「気仙沼ホテル」に併設の食事どころだった。

  店ではおじいさんお薦めのまんぼうの刺身を酢味噌で食べてみた。淡白でぶよぶよしていておいしいのかどうかよくわからなった。地酒も味わい9時にはバタン。

 今朝(7/28)は4時前から夜が明けてきた。これから東洋一といわれる魚市場へ行ってみる。ただ、運悪く土曜日で休み。中央市場が日曜日が休みだからとのこと。
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        (気仙沼魚市場から港を望む)

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           (気仙沼港の漁船)

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           (気仙沼ホテル)

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          (えびす振る舞い)

(注 気仙沼ホテルは、出発前珍しく写真に撮った。何かの因縁を感じる。魚市場から3,4分の近さだったから津波の被害も大きかったことだろうか。)


2日目 7月28日(土)

 宿からは南気仙沼駅の方が近いので、駅に通じる広い道を歩いた。
 (注 ネットの写真によると、駅は津波により骨組みだけを残し、民家が斜めに寄りかかかっている。)
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           (南気仙沼駅)

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        (南気仙沼駅プラットホーム)


 7:25発。気仙沼駅では4分で7:38発の大船渡線に接続。この線は2度目だが、大船渡で途中下車する。
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            (大船渡駅)

 駅からすぐの港へ行ってみた。交差点の電柱を見上げると、「災害は忘れた頃にやってくる 昭 35 5 24  5.35m チリ地震津波水位表 大船渡市」と記した青い表示板が取り付けてある。
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          (チリ津波の表示板)


 前回(2005.9.12) 下車した女川駅もショックだった。静かな女川湾に抱かれたような港を散策した後駅に戻ってくると、列車を降りたときには気がつかなかったが、ホームへ登る階段に大きな看板が立ててあった。看板には「階段の青い線の高さまで津波が押し寄せました!」と記してあり、一瞬足が震える思いがした。それをきっかけにあの本を読むことになったのだった。
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     (女川駅の階段にあるチリ津波の表示)


 今は街路樹がきれいに立ち並んでいるこの一帯も、自分の背丈をはるかに越える津波に覆われたのだ。埠頭と道路の境には1.5mほどのコンクリートの堤防が設けられ、あまり大きくもない川にも頑丈そうな樋門が見える。
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       (大船渡の市街 北方向を望む)

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          (同上 南方向を望む)


 しばらくは列車もないので、バスに追いつかれるまでしばらく人気のない通りを盛駅へ向って歩くことにした。

 右手に銘菓「かもめの卵」の本社が見えてきた。東北地方の駅の売店でときどき見かけるお菓子だが食べたことはない。穏やかな笑顔の店員さんに勧められ試食してみる。ほんわかとしておいしい。つい1個づつ何種類も買い求めた。
 (注 本社は津波の被害にあったが工場は別のところにあり、4月初め製造を再開したとのこと。)

 JRの盛駅と三陸鉄道の盛り駅は隣り合わせている。
 三陸鉄道の盛駅で青春18きっぷを提示し、三陸鉄道南リアス線フリーパスを半額で購入。10:18発。
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      (JR盛駅 左隣りに三陸鉄道盛駅)

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       (三陸鉄道南リアス線盛駅)

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       (三陸鉄道南リアス線フリーパス)


 前年乗ったばかりで、今朝は早起きをしたからか長いトンネルは涼しく快適で、つい眠り込んでしまう。トンネルを抜けるとすぐに駅になり目が覚める。線路がかなり高い所を通っているので、駅の下に民家と小さな入り江が見えたりする。途中下車してみたいがぼんやりした頭で決心がつかない。結局運転士の教えてくれた吉浜駅で降りてみることにした。(注 吉浜駅は国鉄盛線の終点だったことがある。)

 駅は大船渡市の出張所が併設されている。平成13年に三陸町と大船渡市が合併したとのこと。職員が快くキャリーバッグをあずかってくれた。
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            (吉浜駅)


 比較的新しそうで大きな民家の点在する道がひじ曲に曲がり、広い田んぼの間をゆるやかに海へと下っていく。やがて松の木の繁った磯に出た。目の前に波の静かな吉浜湾が広がり、磯の右手遠くにつながる広い砂浜はたくさんの海水浴客で賑わっている。そのもっと先、岬の突端に見える防波堤は漁港であろうか。行ってみたいが1時間しかないのであきらめる。
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          (波静かな吉浜湾)


 初老の女性が5,6歳くらいの女の子とくつろいでいる。磯の先で竿を振るっている男の姿も見える。アイナメを釣っているのだそうだ。

 大船渡から来たとのことなので、思い切ってチリ津波のことを聞いてみると、思いのほかすらすらとその日の経験を話してくれた。夜明け前、いつもは対岸の工場に駐車している自家用車が全部なくなった。家も流されて行った。と、そこまで話すと突然絶句し、もう何も話してくれなくなった。
 しまった。今もなお生々しい記憶なのだ、やっぱり悪いことを聞いてしまったのだ。申し訳ないことをしたかもしれないと思った。

 出張所の椅子で涼ましてもらいながら列車を待つ。職員が、「何もないところですよ。でも、定年退職した人が移り住んできたりします。」という。なるほど本当にのどかなリゾート地のようでもある。

 (注 津波後の吉浜の写真が読売新聞に掲載された。壊れた漁港から見上げる民家は全く被害を受けていない。たびたびの津波の経験をもとに、人望のあった町長の言葉に従って民家を高台に移し、低地は田んぼにしたのだという。あらかじめ知識があればもっと違う目で見たかも知れない。)
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        (釜石行きの列車 吉浜駅で)


 釜石駅12:06着。前年に続いて二度目。自分の頭の中に刷り込まれている釜石駅は目と鼻の先に巨大な新日鉄の煙突が何本もそそり立っているちょっとくすんだ光景だが、駅前の道路は広くすっきりとして拍子抜けしたものだった。高炉が閉鎖されてもう10年になるのだ。駅に隣接している物産センターで、米軍による艦砲射撃の写真を見た覚えがある。

 タクシーで鉄の歴史博物館」へ行く。道々海側に白い巨大な観音像が立っているのが見える。
 屋外に釜石製鉄所の専用鉄道釜石ー大橋間を走っていた日本製のミニSLC20が展示されている。長さ9m 重さ18.2トンで昭和40年まで走っていたと銘板に書いてある。これがみたくてやってきたのだったが、博物館も充実していて大変面白かった。
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       (釜石製鉄所のミニSLC20型)


 帰りに乗ったバスの運転手が、遠洋漁業の船員さんが宮古へ宿を取るようになったりして、釜石は寂れるばかりですと嘆く。

 釜石駅13:40発の山田線で北上し、1時間余りで宮古駅に着いた。沿線には名勝もあるらしいが、地図で想像していたのとは違ってほとんど海は見えず、眠気を催すほどののどかさだった。
 (注 過日NHKのテレビで、沿線にある大槌町の防災無線のスピーカーから正午に流れていた「ひょっこりひょうたん島」のテーマ曲が4ヶ月ぶりに復活したというニュースが放送された。涙を流している人もあった。)
 
 JRの宮古駅と三陸鉄道の宮古駅(本社も入っている)は、土産物屋などをはさんで隣り合わせている。
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           (JR宮古駅)

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          (三陸鉄道宮古駅)
 
 宮古駅の背後の小高い山に、ランドマークのような高さ160mのラサ工業の煙突がそびえている。昭和61年まで銅の精錬に使われていたという。
 (注 ラサ工業のHPによれば、幸い今回の地震による損傷はない。)
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     (駅の裏の岡にそびえるラサ工業の煙突)

  二つの駅の間に「超我の碑」がある。映画「大いなる旅路」のモデルになった列車事故の碑で、映画はDVD化されていて気になっている。
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            (超我の碑)

 15:49の山田線盛岡行きに乗る。
 今日から明日へかけてのコース作りには今回一番苦心した。
 宮古ー盛岡間は路線バスが発達しているが、列車の方はといえば、各駅停車は、上りが3本下りが2本で、明るい時間帯には事実上1本ずつしかない。片道は快速を使うにしても、これに茂市駅から分かれる岩泉線に加え三陸鉄道北リアス線を組み合わせるのは至難の業。2,3日粘りに粘った挙句盛岡ー平泉間を往復するというおもしろい案にたどり着いた。我ながら青春18きっぷの利点をフルに生かした傑作である。
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           (山田線の列車)


 閉伊川をさかのぼりどんどん山の中へ分け入っていく。大きくて見事な山容の早池峰山がちらっと見える。区堺駅にたどり着き列車交換。今度は急な下り坂を駆け下りて秘境駅で知られる大志田駅を一瞬のうちに通過、ちょうど2時間で盛岡駅に着いた。

 岩手山は残念ながら半分雲に隠れていた。啄木新婚の家をゆっくり見学したこともあり、時間も時間なので市内地図を片手に観光バス代わりに市内バスを乗り継ぐ。

 盛岡訪問3度目にして初めてわんこそばにありつく。年齢の数ほどはと頑張り、2杯おまけして68杯の証明書をもらう。若い人は100杯超とか。店員さんが携帯で記念写真を撮ってくれたりするが、こういうときばかりは一人旅はつくづくサマにならない。
               223km(JRのみ)

(妻へのメール 7/28夜書き即送信)

 4時起床。ニュースでNY株大幅下落と。気仙沼魚市場へ。6時のチャイム。もう日は高く暑い。ホタテを1個ずつ仕分けている人と話す。網を整理しているのはそうか(ふか)漁の船。かつお船が1隻いる(竿を立てている)。他はまぐろはえなわ漁。駅で買った三陸新聞に漁業通信が載っている。用語不明。例えばオカズに終わる(不漁?)。奮闘働。適水中。イカ釣りの漁り火の写真も。大船渡で途中下車。膝痛、サロンパス購入。港に津波防波堤。鉄扉。川に頑丈そうな樋門。駅前の交差点にチリ津波の表示。5.35m。盛駅へ歩く途中かもめの卵本社。試食。おまけを1個。追いついてきたバスに2停留所分乗る。盛駅で三陸フリーきっぷ850円。一日中よく歩いた。サロンパスはよくきいたが、駅の陸橋上り下りきつい。

(三陸その2へつづく) 
                




 
 

 





 
 
 




 

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