宮脇俊三さん

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宮脇俊三さんは2003年(平成15年)2月26日、76歳で亡くなられた。あのショックからもう5年になる。 
 その後特集記事や雑誌などが数多く発行された。おかげでご生前の頃よりもたくさんのエピソードを知り、ますます氏の魅力に惹かれることとなったように思う。

 今はどうか知らないが、以前は趣味蘭に「鉄道」と書く人はあまり多くはなかったのではないだろうか。趣味の王様といわれる鉄道模型は別格として、なんとなく隠すというか、「鉄道?きしゃぽっぽ?変わってるねえ」といわれるのがオチなので、つい口に出すのもわずらわしく、内にこもる。私の場合は「マニア」でも「おたく」でもまた「てっちゃん」でもないのだが。

 ところが今や鉄道は趣味として広く認知されるようになった。NHKが一般化した。「青春18きっぷ」に関する雑誌まである。団塊の世代に人気があるのだろうか。元はといえば宮脇俊三さんであろう。
 私は内田百閒や阿川弘之さんの本も愛読しているが、多少マニアックな感じがしないでもない。宮脇俊三さんのそれは、「鉄道」を通して歴史や地理などだけでなくもっともっと広い世界へ私を連れて行ってくれる。


 最近「最長片道切符の旅」取材ノート」(新潮社 平成20年4月20日)という本を読んだ。
 「最長片道切符の旅」(昭和54年)は今も読み続けられており、新潮文庫で16刷を重ねている。今回発行された上記の本は、この本を書くためにつけられた11冊のメモに若干の脚注をつけたものである。
 
 とにかくおもしろかった。観察が細やかで、それをまことに几帳面にメモに残されている。もともと人に見せるものではないから内容は率直で時に辛らつ、それでいてそこはかとないユーモアさえ感じる。例えばホテルや食事に対する評価は遠慮がないし、合併でつけられた市名はよほどお気に召さなかったらしい。車中でこどもの日記に評を書きながら眠り込んでしまった先生には、おやおやそれはないだろうという気持ちと優しいまなざしとが同居している。
 ここはどう書いてあるかなと「最長片道切符の旅」を読み返したり、地図と照らしあわせてみたり、「廃線跡を歩く」などの本に飛び火したりするので読み終わるまでにひどく時間がかかった。自分が車窓から見た風景と重なることもたびたびだった。

 本が大量のメモから絞りに絞って書かれていることも実感した。自分の旅をブログで整理するようになってみて思い当たることがある。つまらないメモもつい捨てがたくて文章が長くなる。他人に「読んでよ」と押し付けることもある身としては反省しきりだ。


 私は宝物を持っている。氏から贈ってもらった「渋谷駅」という本と、それを包装していたボール紙製の空箱である。本の表紙を開くと氏のお名前と私の名前、そして恵存という文字が丁寧に書いてある。

 これにはわけがある。
 仕事柄あるとき、「横浜みなとみらい21」を作ったことで知られる田村明先生(当時法政大学教授)を囲んで皆で杯を交わしたことがあった。どうした弾みだったか、先生が「宮脇君と奥野健男君は小学校の同級生だ」という話になった。
 
 メンバーの中には奥野健男さんの「文学における原風景」を読んだことがあるという者もいた。私はといえば本屋に宮脇俊三さんの新刊が並ぶのが待ち遠しかった頃である。田村先生はかなり酒がお強かったが、宮脇俊三さんもお酒が大好きとのこと(著書の中でも、旅先でよく酒を楽しんでおられる)。話題はそんなことにまで及んで話に花が咲き大変楽しかったこともあってか、すぐに宮脇俊三さん宛てに銘酒賀茂鶴のゴールドに手紙を添えて送ることにしたのだった。単純なファン心理のようなものだったかもしれない。

 ある日宮脇俊三さんから郵便が届いた。あけてみると「渋谷駅」でびっくりしたが、正直小躍りするほどうれしかった。
 しかしよくよく考えてみると、芸能人ではあるまいし、本を読んで感想を書き送るファンはいるだろうが、いきなり頼みもしない酒など送られて戸惑われたのではないだろうか。ほおっても置けず、忙しい中律儀にもお礼に本を送ってくださったのだ。後先を考えずご迷惑をおかけしてしまった。今になって思うとまことに恥ずかしいが、思いがけず何にも代えがたい宝物を手にすることになったのだった。

 しばらくして朝日新聞だったか書評欄を持っておられた田村先生が、「渋谷駅」をとりあげられた。この本の半分くらいは先のお三人による座談会で、貴重で興味深い「時代」の記録でもある。
 


 

 

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