三陸再訪  その2の2 田野畑から気仙沼まで 2012.9.24-28(後編)

後編 宮古から気仙沼まで


3日目(9/26)

 早朝姉ヶ崎展望台と、天皇・皇后も行かれたという浄土ヶ浜展望台を散歩。右手の松林の間から朝日が昇り、絶景が明けに染まる。

            姉ヶ崎展望台
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           浄土ヶ浜展望台
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 8:15の宮古行送迎バスに乗り浄土ヶ浜で下車。
 観光船は団体さんで鈴なり。かもめに餌のパンをちぎっては放り投げはしゃいでいる。
 崖下の小さな漁港の防波堤が、津波で崩れていた。
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 船から降り、小高い展望台に登ると素晴らしい眺望が開ける。
 ただ、海沿いの遊歩道は波に洗われ、トンネルの入り口には通行止めの看板が立ててある。写真でよく見るあの飛び飛びにつながる三角形の岩の近くまでは、歩いては近づけそうもない。

 バスは宮古港や防波堤沿いの通りから繁華街を抜けて宮古駅に向かった。市役所の屋上から職員が撮影したビデオを何度目にしたことか。この堤防を越えて黒い津波が街の中へ流れ込んだのだ。絶叫が耳にこびりついている。

 駅前の岩手銀行のそばに、「津波到達地点」の碑が建ててある。
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 JRと三陸鉄道の駅は何事もなかったように並んでいる。JRの方は、塗装を変えるための足場が組んである。
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 宮古から気仙沼までは何度もバスを乗り換える。バス会社が別々で必ずしも接続はよくないし本数も少ない。土地勘がないので乗り換え場所が分からなかったりする。駅はいわゆる旧道沿いに多いが、バスは広い新道や高速道路に入ったりするので、多少地図を頭に入れておいても今どこを走っているのかさえ分からなくなることが度々だった。大槌町あたりは長いトンネルで越えたのではないかと思う。

 宮古駅前から11:52の盛岡始発岩手県北バスに乗る。席ははいっぱいになった。

 船越駅前で30分待ち、岩手県交通のバスに乗り換える。

          岩手船越駅(閉鎖中)
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 バスの車内放送が繰り返し流れる。 「このバスは県の補助をいただいて運行しています。乗客が少ないと廃止になります。ご協力ください。」
 通学時間帯を除けば、このガラガラ状態が普通であろう。車の運転のできないお年寄りたちはどんな気持ちで聞いていることか。こんな問題もあるのかと改めて思う。

 釜石駅前の広い通り沿いで次のバスを30分待つ。

             釜石駅
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 駅前付近の惨状も脳裏に焼き付いている。駅と新日鉄の間の広い通りだけを見ていると何事もなかったようでさえあるが、バスは走り出すとすぐに無残な姿のビルの間を通り抜けた。
 バスは山の上の白い大きな観音様と、釜石湾を左手に見ながら進む。山間部に入り、スーパーなど大きな店舗もそろい、一つの街を形成しているような仮設住宅街のバス停に立ち寄ったりする。

 吉浜では狭い旧道に入り込み、吉浜駅に立ち寄った。夏の暑い日途中下車した駅だ。大船渡市の支所を兼ねているので、冷房の効いた待合室でしばらく休ませてもらった。かつて村長さんの言葉に従い、高台へ集団移転したおかげで今回も被害はなかった。ただ、田植えはできなかったのか田んぼは荒れ野だった。

 16:00盛駅着 JRと三陸鉄道南リアス線の駅が並んでいる。三陸鉄道も線路や気動車の機器部分が浸かり全線運休中。駅員が、「来年4月に盛・吉浜間が部分開業します」という。知らなかった。26年全線開業と聞いていたはずだがうれしいニュース。

      三陸鉄道南リアス線盛駅(右手はJR)
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 車両を見せてもらう。時々イベントに開放するというが、屋根の部分には錆も浮かび始めている。構内には、「ご自由にお持ちください」と、衣類などを入れた段ボール箱が置いてある。

 構内を黒い無蓋の貨車がゆるゆる通り過ぎて行った。まったく知識がないが、岩手開発鉄道という石灰石などを運搬する貨物専用の鉄道とのこと。偶然とはいえこんな光景に出合うことができうれしくなる。惜しいことに写真を撮りそこなった。

 ここから一駅の大船渡駅は流失した。何もなくなった駅前広場になぜかタクシーが2、3台停まっている。

             大船渡駅跡
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       大船渡駅の線路跡(盛方向を望む)
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 駅前の交差点に立つと、街路樹も立ち並んでいた記憶のある繁華街は、ただただまっすぐな道路が左右に伸びている。かさ上げしたのか道路わきには土嚢のようなものが並んでいる。

        交差点から気仙沼方向を望む         
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       「茶屋前商店街」の街路灯?の一部か
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 駅に近い今夜のホテルは12月に再開したが、向かいのマイヤデパートは解体工事が始まっている。解体工事さえ順番待ちで思うように進まない。
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 港では、クレーンで海底のがれきを取り除いている。
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 屋台村へ行くつもりだったが多少疲れた。


4日目(9/27)

 早朝、かもめの卵の本社へ行く。東北地方ではよく知られた一種のお饅頭だが、大変おいしい。この店でばら売りをいくつか買った。4月には早くも山側にある工場で製造を再開、喜びの声が報道された。
 屋上に、「津波到達水位8.5M」の青色のボードが掲げてある。
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 道路と線路跡を横断し、桜並木の緩やかな坂を上がって通りを見下ろす。
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 ゴミ出しに来た女性としばらく立ち話。
 自分もこの近くにある避難所になっている学校へ行ったが、危ないと思って皆で山の方へ逃げた。水などは支援もあり、電気もついたが、一番長い間困ったのは買い物だった。マイヤデパートが仮店舗を開くまでは盛まで片道40分歩いたという。

 ホテルから15分ほど歩き、商人橋8:50のバスで気仙沼へ向かう。
 バスは海側の鉄道沿いに行くコースに乗る予定だったが、手違いで山越えのコースに乗ってしまった。そのため、途中の陸前高田は、図らずも山の斜面から丸い盆地を突然俯瞰することになり、衝撃が大きかった。三陸にしては広々とした平地に恵まれた土地といわれる。駅は市街地の真ん中にあったはずだが、原野のような風景に、どんな街だったのか、バスがどのあたりを走っているのかさえ想像がつかない。平穏で豊かな土地だったのだろう。一本松がやむなく伐採されたニュースが耳新しい。

             陸前高田 
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        気仙川河口 左手に高田松原
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 左の車窓に気をとられているうち、右窓が不意に赤くなった。鹿折唐桑駅前の「第18共徳丸」だ。もしかしてバスから見えるかもしれないと思わなくはなかったが、こんなにすぐそばを通るとは。席を移ると、運転手に「立ち上がらないでください」と叱られてしまったが、停留所がなかったのか一瞬で通り過ぎた。花などが添えられているようだった。
 モニュメントとして残したい気仙沼市と住民との間で意見が分かれていると聞く。

 気仙沼駅に着いた。黄昏時にこの駅に降り、宿までバスに乗ったので懐かしさも一入だ。
             気仙沼駅
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 気仙沼ホテル、魚市場、南気仙沼駅へ行きたいが、あらかじめバス便を調べてみたが無理と分かり、またもやタクシーの世話になる。

           気仙沼ホテル跡
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 土台だけが残っていた。「恵びす振舞」という小料理屋を兼ねていて、そこで夕食をとった。マンボウの刺身が珍しかった。運転手が、「手前が調理場だったんです。主人は元気だそうです」という。

魚市場 右手が港
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 近くでふかひれを干している。

            南気仙沼駅跡
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 翌朝この駅で列車を待った。駅舎は流されなかったが、撤去されている。ホームが残っている。

 大島行の船着き場では、広島からの旅行者とは言わなかったのに、江田島のフェリーの応援が話題になり、自分のことのようでうれしかった。

 ぜひ行ってみてくれと勧められ、小高い丘に登る。あの湾が火の海になったのだ。遠足らしい小学生もたくさん来ている。
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 気仙沼線はこの駅から柳津までは流失した駅舎も多く、線路も寸断されている。最近、最知と陸前階上の一駅間に高速輸送システム(BRT)が導入された。
一度見てみたいので折り返しの便を考慮して本吉まで往復することにしている。本吉は、偶然ながら、いつか車中でよい道連れになった八十がらみの男性が下車した駅でもある。

 国道を走っていたJRの代行バスは左折して田舎道に入り、線路跡にぶつかる。左の線路跡の先は松岩駅。
右折するとすぐ最知駅。両駅の間で二両編成の気動車が田んぼへ押し流された。

         線路跡 松岩方向を望む
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             最知駅
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        舗装された線路跡と陸前階上駅
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 コースを横断する道路に踏切はなく、代わりにガードマンらしい人が立っている。
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バスは一駅分だけ走り、またもとの国道に戻った。

       大谷海岸付近 鉄橋が落ちている
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             本吉駅
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 本吉駅に向かったバスは、急に山間部に入り、だらだらと登って市街地を抜け、坂をもうひと踏ん張りしてやっと駅に着いた印象だった。ちょっと奇異なじを受けた。後日ものの本に、過去の津波の教訓から旧本吉町の中心を高台に形成したもので、今後の街づくりのモデルとして注目される、とある。吉浜を思い出す。

GPSによる運行管理
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 車内には「9月29日から10月5日の間に5回、利用実態調査を予定」と掲示してある。将来鉄道に戻すことも否定はされていないが、地域の人にとっては複雑なものがあるだろう。周りの高校生に生の声を聞いてみたい衝動に駆られるが、イヤホンを耳にスマートホンを覗いている。 それはさておき定時性は高いだろうからその点は鉄道とそん色はないだろうが、利便性の向上という意味で、市内バスのように簡易な停留所をどんどん増やすような考えはないものかなと思ったりする。お役人の頭が柔軟でありますように・・・・。

 気仙沼に戻り、快速スーパードラゴンで一関へ向かう。今日は花巻温泉泊まり。

 
 ブログ用に写真を整理しているうち、仮設住宅の写真を一枚も撮っていないことに気が付いた。バスから度々目にした。余談ながら、旅の写真を後で見てみると、肝心なところは決まって撮り忘れているのは珍しくない。が、仮設住宅にカメラを向ける気持ちにはどうしてもなれなかったような気がする。

 ある方の短歌が何度も頭をよぎった。
 「この大変な時になに遊んでんだ 被災地の主婦政局に言う」。 私も同感だ。この主婦の空しい気持ちが分かる気がする。
 震災復興予算の使途についても、内容は正直よく理解できていないが、ある有識者が怒りを持って述べていたから事実なのだろう。

 旅行はどうだった?どんなことを感じた?と自問自答してみる。一言で言えないのは当たり前として、言葉にしようとすればするほど自分の気持ちから遠ざかるようでもある。ほんの短期間ではあったが、自分なりの体験をこれからもずっと繰り返し思い続けていくことになるだろう。

 旅の記録を整理しようと始めたブログである。他の人にも読んでもらえるのが励みになっている。それだけに主義として、できるだけ感情に任せないよう心がけているつもりだが、このたびは書きながらどうしても涙が滲んで来た。
 残念ながら多くの犠牲になられた方は戻らないが、あの町や村はいつの日か必ず、私の記憶とは違う姿で再生するだろう。生きているならその時はもう一度訪ねるつもりでいる。一日も早い復興を心から祈り続けたい。


 

 



        

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