第44回目の旅 後編

「第44回目の旅 2010.6.13(日)-20(日) 稚内へ 全線乗りつくし達成 前編」からの続き

14:05-15:05 興浜北線(前出)北見枝幸駅跡 

 公園になっていて記念碑が建ててある。

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           (北見枝幸駅跡)

 向かいのバスターミナルの人が親切にも、「ここに展示していた資料がオホーツクミュージアムにあります」と電話を入れてくれる。

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 (たくさんの資料が丁寧に保存されている地階倉庫)

 1階の展示場ではたまたま郷土の写真展を開催中で、歌登町営歌登線(1971年廃線 小頓別ー歌登)の写真も見ることができた。

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      (保存されている歌登線の料金表)

16:00前頃 旧興浜南線(1985年廃線 雄武ー興部)

 展望台つきの道の駅になっていて、写真などを展示。

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            (雄武駅跡)

 「歴闘50年 興浜南線終着駅 おむ 1985.7.15 休轢」と書いた碑が建ててある。歴闘とか休轢という用語は寡聞にして知らないが、南北の興浜線をつなぐという悲願はついに実らなかったばかりか廃線に追い込まれた無念の想いが胸に迫る。

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           (「歴闘50年」の碑)

16:38-17:05 同上及び旧名寄本線(1985年廃線 名寄ー興部ー中湧別ー 遠軽 中湧別ー湧別)

 道の駅もある興部交通記念複合施設で、写真などを展示。

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            (興部駅跡)

 広大な広場に、ディーゼルカーを改装した宿泊施設がある。

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      (「ルゴーサ(はまなす)エキスプレス」)

 広々とした原野の中を走っていると、鉄橋が雑草に埋もれていた。

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          (鉄橋ー旧名寄本線)

 紋別駅跡は2007年に訪れているので通過。駅の跡には、動輪をかたどった形ばかりの記念碑のほか何もなかった。通りがかった人が、身振り手振りで一生懸命線路や駅の位置を教えてくれたのが印象深い。

18:20-18:35  旧名寄本線及び旧湧網線(1987年廃線 中湧別ー網走)の 中湧別駅跡

 上湧別町鉄道資料館になっている。紋別へ行くバスの車窓から見ただけだったので、いずれ来てみたいと思っていた。

  車は、道の両側が淡いピンクの花で満開の並木道をまっすぐに駅跡に向かった。線路跡だったかもしれない。

 プラットホームや跨線橋、ラッセル車、緩急車が残されていて、二百数十人規模の保線区があったことを示す碑も建ててある。
 
 
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           (中湧別駅跡)

 宮脇俊三さんの「時刻表2万km」には、この駅から湧別までわずか4・9kmを乗るため四苦八苦する有様が印象深く記されている。


19:00-19:06 旧湧網線の計呂地駅跡

 交通公園になっていて、C58と客車が保存されている。宿泊もできる。管理人がいるのか駅舎から明かりが漏れていた。記念碑の設置者は個人名になっている。

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        (計呂地駅跡とC58139)

 日が暮れてきた。サロマ湖畔のホテルへ急ぐ。


6日目 6/18(金)

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           (サロマ湖の朝)

8:50 ホテルを出て山間部に入っていく。

9:30-10:18 同上佐呂間駅跡 

 交通公園に、今は交通ターミナルになっている場所から駅舎を移転し、鉄道記念館にしている。
 写真や資料が豊富でよく整理されており、外にはD51と、誰の仕業かナンバープレートのなくなったディーゼル機関車も保存されている。
 役場から鍵を預かっている管理人が、思い出話に付き合ってくれた。沿線の駅前広場は、ゲートボール場などになっているとか。

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           (旧佐呂間駅舎)

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           (D51565)

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    (ナンバープレートのないディーゼル機関車)

11:00過ぎ 同上常呂駅跡

 交通ターミナルになっていて、前回来たとき、2階の資料室を見せてもらった。

 網走から常呂へバスで着いたとき大雨に見舞われた。親切な青年が軽自動車で民宿まで送ってくれたことを思い出す。

 能取湖沿いに自転車道になっている線路跡が見えかくれする。サンゴ草が色づく頃のサイクリングは快適だろう。宮脇俊三さんお薦めの線だった。

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         (能取湖沿いの湧網線跡)

11:35ー 同上卯原内駅跡 

 9600型の機関車と客車のほか、網走市鉄道記念館の看板を掲げた建物が隣接している。1階は喫茶店なので2階に上がってみると廃校になった小学校の資料が展示してある。釈然としないまま早々に引き揚げる。

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      (卯原内駅跡の59643 左手は能取湖)

 通りがかりの藻琴駅で列車ダイヤを確かめる。うまい具合に原生花園の駅で網走行きの列車と出会えそう。

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          (釧網本線藻琴駅)

 海沿いの道は知床半島を遠望する素晴らしいドライブコースだった。

12:45-13:20 原生花園
 
 観光バスが何台も出入りし人人人の波。
 
 ハマナスの花が意外に少ない。妻は30年あまり前の記憶とどうしても一致しないらしい。ボランティアガイドによると、一日花で、しかも今朝雨が降ったから散ったとのこと。

 その代わりエゾキスゲが一杯に咲いている。エゾスカシユリが今年初めて咲いたと聞いて探しに行く。2輪見つけた。

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           (エゾキスゲ)

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          (エゾスカシユリ)

 展望台から斜里岳や、海別岳など知床につながる雄大な景色をあかず眺める。

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           (知床の山々)

 めったに来ない列車をビデオにおさめることができた。

13:55-14:12 斜里町町民公園

 よく手入れされた9600型の機関車が保存されている。

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           (59683)

 ここで廃線跡をたどる旅を終えることにした。どこでも機関車など車両は勿論写真や資料が大切に保存・展示されていた。単なる郷愁としてでなく、鉄道が人々の生活と深く、強く関わり、大切にされていたのだろうと心を打たれた。時代の移り変わりとはいえいろいろと考えさせられることも多かった。

 妻と運転を代わり、3時半ごろ知床自然センターに着いたところで目が覚めた。オホーツクラインは快適で、真っ青な海に吸い込まれそうだったとか。

 ウトロには泊まったこともあるので今回は素通り。知床峠を目指す。

 青空の中にそびえ目の前に迫ってきていた羅臼岳が、登るほどに雲に覆われ、とうとう半分も見えなくなってしまった。

15:57-16:15 展望台から国後島を望む。今回の旅ではこれが見たかった。

17:07-17:45 羅臼国後展望台

 30年余り前、標津から見た国後島は余りに近くショックだった。単純というかこの島は間違いなく日本だと思ったものだった。

 著書や報道で関心を深めてきた。しかし高田屋嘉兵衛も活躍した北方領土は、知れば知るほど日本から遠ざかっていくように思われる。

 ビデオは、一時曙光の見える思いのした20年以上も前を思い出させるかのように、エリチィン大統領の笑顔ばかりが印象に残った。初老の女性職員の言葉に絶望的な響きを感じる。落胆ばかりの国の政治同様何ともいえないむなしさに襲われてしまった。

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         (羅臼港と国後島を望む)

 (ロシアの北方4島の実効支配を認めることになりかねないことから、ロシアのビザを取得して4島へ渡航することは自粛するという閣議了解がある。8月、このことを知っていた福岡市の旅行社により8人が渡航。旅行会社は二度とやらないと侘びた。
 7月には北海道の技術者が同様に択捉島に渡航。
 政府は9月3日の閣議で、閣議了解を国民に周知徹底することを決め、地方自治体等へ通達した。                    北海道新聞HPなど)

 遅くなったので養老牛温泉の宿へ急ぐ。80kmもある。広い牧場、原野、深い森、真っ直ぐな道を懸命にスピードを抑えて走る。軽く100km以上で追い越していくものもいる。地図を見比べてみると、きれいな三角帽子のような山は尖峰(953m)だろう。キタキツネも顔を出す。

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       (恐れる様子もないキタキツネ)

 宿でお世話になった女性は、修学旅行は広島で、折鶴を折ったりお好み焼きも食べたりしたとか。たまにこういう人柄のよい女性に出会うことがある。食事、風呂、居心地良し。


7日目 6/19(土)

8:30 ホテルを出る。

8:50-9:00 裏摩周 

 カムイヌプリが目前に迫り、表側より視界は狭いが、人が少なくてこちらもよい。休憩所を新築していた。

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           (裏摩周展望台)

9:44-10:15 摩周湖

 かつて「霧の摩周湖」にがっかりした妻にとっては、やっと念願がかなった。

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          (摩周湖第一展望台)

11:00過ぎ 硫黄山

 噴出す蒸気にやられたか、帰広後数日のどの痛みに悩まされた。卵2個100円也。昼食代わり。

13:05 鶴居村を経て釧路湿原展望台
 
 釧路の街のビルが手にとるように近い。館内を一巡してから来た道を戻り、温根内ビジターセンターの湿原を散策。
 塘路のような展望はきかないが、湿原に直接触れることができ、遊歩道をどこまでも歩きたくなる。

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         (どこまでも歩きたい湿原)

 ただ、湿原が初めての妻には、塘路の大景観も見せてやりたかったかなとの思いがかすめる。

 釧路駅で予定の15分前レンタカーを返す。783km ガソリン36リットル。

 15:18発の普通列車に乗る。特急ではなく普通列車を選んだのは、前回、帯広から白糠に着いたとき夜になったので、自分にとっては白糠周辺が空白だから。

 白糠を出ると、海沿いに濃い霧に覆われた湿原が広がり、黄色な花が咲き乱れている。馬主来沼があるらしいが良く分らない。荒れた牧場、崩れかかった民家、廃校らしい建物など荒涼とした風景の中峠を越えた。客は3人。

 新吉野で、下りスーパーおおぞら7号、上り12号と交換。駅名は近くに吉野桜に似た山桜が咲いていたからと。

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         (新吉野駅で列車交換)

18:43 帯広着 夕食は豚丼。夜の繁華街は賑わっている。


最終日 6/20(日)

 列車まで時間があるので百年記念館へ行く。開拓の歴史、作物、アイヌの生活など見ごたえ十分。

11:36 帯広始発のスーパーとかち4号。前日みどりの窓口で聞いたとおり自
 由席はガラガラ。こまめに停車して新得ではほとんど満席になった。

新千歳13:46着 14:50 JAL3406 広島に近づいた頃空が晴れてきた。





 

  

   
 



 

 
 


 

 

 



 




 

 

 






 

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