第44回目の旅 2010.6.13(日)-20(日) 稚内へ JR全線乗りつくし達成 前編

どんな旅
 今回の旅で、普通列車によるJR全線乗りつくしを達成した。妻同伴。せっかくだからと一番良い季節を選び、利尻・礼文島を巡り、廃線の前に乗ることのできなかったオホーツク海沿岸の駅跡をたどることとした。
 運よく取れた寝台特急カシオペアが花を添えてくれた。

初めて乗った線
宗谷本線(塩狩ー稚内間)

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        (地図をクリックすると拡大できます)
             赤細線 : 今回のコース
             赤太線 : 初めて乗った線
             赤破線 : 廃線跡
             赤点線 : 在来線
             黒細線 : レンタカーのコース


1日目 6/13(日)

 早めに家を出て、東京駅には14:10に着いた。
 丸の内口は改装工事中。2年後の今頃には創建当時の3階建てになった姿を見ることができるはず。
 お堀を渡って和田倉噴水公園で一休みし、丸ビルと新丸ビルの間の広い通りを通って戻る。

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          (改装中の東京駅)


 カシオペアは、上野駅の13番線にバック運転で入ってきた。照明が一瞬ピカッと光る。掛員がカシオペアスイートのカーテンを少し開け、前をにらんでいる。ほんの少し室内が見えた。

 ピカピカに磨かれた機関車EF8199のナンバープレートとカシオペアのエンブレムがまばゆいばかり。カメラのフラッシュが次々と光る。自分達の乗る7号車を確かめてから売店で日本酒のほかワインなども仕入れる。

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           (カシオペア)


 瞬く間に定刻の16:20となり、列車は静かに駅をあとにした。
 まずはワインで乾杯。思わず笑みが出る。私達の22番A/Bは2階席なので見晴らしがいい。宇都宮駅付近の事故で徐行運転し、そろそろ帰宅ラッシュの始まったホームをゆっくりとかすめて行く。外から見えるわけではないがなんとなくこそばゆい。

シャワーを浴びた後、ルームサービスのスペシャル弁当を開く。ダイニングカーの席を取りそこなったので弁当にしたが、くつろげるのでこれもよい。テレビはあるがほとんど映らないので、ナビの画面にする。車窓に映る灯もまばらになった頃ベッドにもぐりこむ。夢うつつのうちに青函トンネルに入ったのかもしれない。


2日目 6/14(月)

 函館の手前で目が覚めた。延着するのかと思っていたが予定通り5:01定時着。大急ぎで身支度し、ホームを先頭車両へ向って走る。濃紺の2両のディーゼル機関車DD511137と1142が近づいてきて、作業員がガチャンと連結する。ラウンジカーからも何人もが、身を乗り出すようにして6分間のショウを見下ろしている。

 機関車は巨体をゆすりながら函館駅を出発した。

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    (函館駅でディーゼル機関車にバトンタッチ)

 駒ケ岳も噴火湾も濃い霧に覆われている。6時半からダイニングカーが開くので早めに並ぶことにする。すでに6人も並んでいた。洋食にするが、パンとジュースかご飯と味噌汁以外はほとんど同じメニューのようだ。美味しい。
 帰りの通路は長蛇の列だった。

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          (朝食の魚はタラ)

 新聞受けに配達されていた北海道新聞の一面の見出しは、「はやぶさ帰還」と南アで開催中のW杯「きょうカメルーン戦」(1-0で勝った)。

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        (よいニュースの並ぶ朝刊)

 先頭車のラウンジカーの入り口はまさに関所だった。カシオペアグッズやアイスクリームについ手が出てしまう。

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     (つい手の出る模型と携帯ストラップ)

 「間もなく札幌です。5番線に到着します。札幌の町は・・・・・。」の車内放送で腰を上げる。

 札幌駅9:32定時着。17分後、列車はポッと汽笛を鳴らし、回送列車となってホームを離れて行った。

 10:00発のスーパーカムイ11号で旭川へ着くとすぐに空知バスの乗り場で神居古潭行きのバスの時間を確かめる。気がつくと大切な品物の入った袋がない。駅へ電話するとちゃんと届いていた。網棚に置き忘れたらしい。またやってしまった。

 神居古潭駅跡はサイクリングコースの休憩所になっていた。蒸気機関車も3両(9600、C57、なめくじ型のD51)が大切に保存されている様子でうれしい。

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      (よく手入れされている蒸気機関車)

 プラットホームは一部崩れかかっていて、ロープが張ってある。

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      (ロープの張ってあるプラットホーム)

 トンネルができてこの駅が廃止され40年になる。友人達と初めて北海道を旅行したとき、ホームから見下ろした石狩川が目に焼きついている。

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        (石狩川の対岸から望む駅跡)

 バスの運転手の話では、河畔に住んでいたアイヌの人も今では一人だけというが、一軒屋の雑貨屋で見かけた女性がその人だったかどうか、40年前の話を伺ってみたかったが、バスの時間に追われたのが残念。

 旭川駅に戻って昼食は昨年も行った「らぅめん青葉」。臆面もなくツーショットでカメラにおさまる。

 16:26の名寄行き普通列車は、出発間際には学生で一杯になった。塩狩駅の車窓を通り過ぎる長野政雄氏の碑を妻に指差して教えてやる。去年わざわざこれを見に来たのかと笑う。
 すぐに下り坂になったのが分る。この坂で連結器がはずれ、客車が逆送したのだ。
 ここから稚内までが乗りつくし最後のコースになる。

 名寄駅に入る手前で、右車窓に北国博物館の蒸気機関車とキマロキが通り過ぎる。急いでカメラを向けるが遠すぎた。今回は時間が合わない。
 名寄駅は堂々とした立派な造りで、交通の要衝だったことがうかがわれる。

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          (堂々とした名寄駅)

 食事の場所を探し歩いた名寄の町は、人気もなく広い道路と低い屋根の家ばかりで、なぜか西部劇のシーンを思わせる。
 明日は稚内。とうとうここまで来たかと、アルコールのせいか多少感慨がある。2日間で2330.4km。


3日目 6/16(火)

 下りの一番列車は7:50発でゆっくりしている。左車窓に水量豊かな天塩川が見え隠れする。

 8:52 音威子府に着き30分近く停車。

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          (音威子府駅のホーム)

 黒い蕎麦で有名な蕎麦屋へ急ぐが残念、まだ開いていない。9時半開店とか。当てがはずれた。

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        (駅の蕎麦屋と天北線資料館)

 天北線(1989.5.1廃線 音威子府ー浜頓別ー南稚内)資料館を開けてくれる。たくさんの模型、資料、写真などを展示してあって、あっという間に時間が経つ。

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           (資料館の展示)

 列車に戻ると突然60歳位の男性に呼び止められた。わざわざホームに降りて遠くを指差しながら、ここの高校には全国でも珍しい木工科があるとか、右手に見える工事中のトンネルで自分も測量をしたなどと教えてくれる。帰ってから調べてみると、村立おといねっぷ美術工芸高校と国道40号音威子府・中川間バイパスのことだった。造林手だそうで、佐久駅で降りて行った。

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     (平成19年に始まった国道40号バイパス工事)
            
 乗客はずっと眠ったままの女性と自分たちだけになった。

 右手に見える山が先ほど教えてくれたパンケ山(632m)だろう。

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      (北海道大学の実習林があるパンケ山)

 ほとんど民家の見えない小さな駅をいくつか通過する。

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           (安牛駅を通過)

 幌延駅の陸橋に、トナカイの絵をあしらった「北緯45度の町」の看板が掲げてある。駅員が十数名もいるのは、「保線のためです」とのこと。

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        (トナカイ牧場のある幌延)

 防雪林が再々視界をさえぎり、時々牧場が現れ、その向うははてしなく広がるサロベツ原野。

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        (とりとめのない牧場と原野)

 兜沼を過ぎた頃から遠くに薄ぼんやりと見え始めた利尻富士は、抜海の丘陵を抜けるとグッと近づき、列車が徐行をはじめる。運転士が、「今日はあまり見えない」とつぶやく。

 列車は高架橋を下りゆっくりと稚内駅に進入した。定刻の11:52着。小さな切妻屋根に覆われたホームは、左側にだけレールを残した至ってシンプルな駅だった。名寄から183.2km 広島から約2500km。

 きっぷに「無効 稚内駅」のゴム印を押してもらう。駅は改装中で、写真でよく見る最北端の標示は撤去されており、ちょっと拍子抜けする。

 音威子府の代わりに、どこにでもある駅蕎麦で空腹を満たす。

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            (稚内駅)

 さて、15:25の礼文行きの船までどうするか。観光案内所がアドバイスしてくれたノシャップ岬が良かった。

 久しぶりに海沿いの道をレンタサイクルで快走20分。
 利尻・礼文やサハリンは霞んでいて見えなかったが、こじんまりした寒流水族館には、きっぷ売り場の男性の言う「食卓でよく見る魚」(ホッケなど)や1mを越える幻の魚イトウなどが大きな水槽をゆうゆうと泳いでいる。ホヤの朱色が美しい。クリオネもはじめて見た。
 飼育員がゴマフアザラシの子どもに根気よくえさやってはビーチボールを持ってこさせる。

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   (ご褒美のシシャモにあずかるゴマフアザラシの子)

 南極越冬隊が使用したパネルの建物が隣接していて、BGMの「タロージロー」の歌声で50年あまりもタイムスリップする。

 礼文島香深港行きの船は混雑していた。桟敷のような2等船室は足も伸ばせない。思い切って1等に切り替える。
 やがて左手に残雪の利尻富士が海の上に浮かんできた。飽かず眺める。

 港から宿までの坂道をマイクロバスで登る途中、「レブンアツモリソウ」が一輪咲いていた。なんとも愛らしい。小学校の生徒が大切に見守っている。

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         (レブンアツモリソウ)

 宿の部屋が暑いので備え付けのエアコンのスイッチを入れる。どうやっても生暖かい風しか出てこないのでやむなく宿の人に来てもらうと、呆れ顔で、「これは暖房です」という。そうか、クーラーをつかうようなことはないのか、と納得。

 「うに」たっぷりの夕食は美味しかった。リピーターらしい熟年夫婦が多いように見受けられた。

 
4日目 6/16(水)

 早朝、散歩。海に浮かぶ利尻富士が神々しくさえある。今日は雨の予報。

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           (香深港と利尻富士)

 新人ガイドさんの観光バスで、まず巨岩「桃岩」の見える花畑 から回る。キジムシロ、チシマフウロ、イワベンケイ・・・・。帰り道にガイドさんが「この花は?」と逆に質問するが もう忘れている。
 島の北側にレブンアツモリソウが群生している。今年は春が来るのが遅れちょうど満開の時期にあたった。行く先々でいろいろな花が咲き競っていて、ゆっくりとトレッキングすればもっと楽しいだろう。
 最北端のスコトン岬にトド島の集まる島がある。トドの缶詰を買ってみた。味は??だった。

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          (花畑から望む桃岩)

 観光バスは利尻島鴛泊港行きの船に接続している。

 ベテランガイドさんの案内で、丸い島を時計回りに巡る。利尻富士は、姫沼に優雅な姿を映し、オタドマリ沼からは爆発のあとの荒々しい姿を見せ、岬からは美しい裾野を引くなど刻々と移り変わり飽きることがない。

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        (姫沼に影を映す利尻富士)

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       (オタドマリ沼から間近に見る)

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          (仙法志御崎公園)

 雲丹を自分でほじって食べてみた。潮の味が程よく利いてうまい。

 リシリヒナゲシの種を買う。うまく咲けばよいが。

 稚内へ帰る船も混んでいた。濃い霧に浮かぶ山が見る見る遠ざかっていく。楽観的な妻の予言どおり天気予報がはずれてよかった。

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         (遠ざかる利尻富士)

 夕食は郷土料理の店でタコしゃぶなるものを食べてみた。熱湯にながくつけると固くなりすぎ、微妙なタイミングがおもしろい。


5日目 6/17(木)

 今朝は朝から雨。一番行きたかった稚内港の北防波堤ドームを散歩。桟橋に稚泊航路の客船が停泊している写真を目にしたことがある。港の賑わいを想像してみる。ジーンと胸に迫るものがある。ジョギングをする人たちが通り過ぎて行った。

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        (早朝の稚内港北防波堤ドーム)

9:20 駅レンタカーで出発。

10:07-10:46 宗谷岬

 間宮林蔵は200年前の1808年、ここから樺太探検に出航したのだ。

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        (間宮林蔵と日本最北端の碑)

 旧海軍望楼、大韓航空機撃墜事件の碑などを巡る。

11:15-11:40 猿払村インディギルカ号記念碑

 遭難したロシア船を村人が救助した。

12:15- 旧天北線(前出)・旧興浜北線(1985年廃線 浜頓別ー北見枝幸)の浜頓別駅跡

 バスターミナルになっていた。駅の模型や写真など多数展示。係の女性が、「ぎゅうぎゅう詰めの列車で通学していました」と懐かしそう。

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           (浜頓別駅跡)

 線路跡の自転車歩行車道に「注意 熊出没」の標示が立ててある。

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        (線路跡は自転車歩行車道に)

13:13-13:24 北見神威岬

 霧に霞んだ灯台の下に、カーブした線路跡がくっきりと残っている。有名な撮影ポイントで、よい写真がたくさんある。

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      (神威岬灯台と旧興浜北線の線路跡)

                                  (後編へつづく)        
   




 





 



 

 
 

 


 










                   

 



 



 

 
 

 





            
 
 

                
 



 



 

この記事へのコメント

東海のどら猫
2015年10月18日 20:05
稚内懐かしいです。防波堤ドームの横に蒸気機関車C5549がありました。保存状態が悪く解体されました。動輪が残っているようです。防波堤ドームに入れてあれば良かったと思います。

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