可部線廃線跡を訪ねる その1

 可部線の非電化区間が廃線となったのは平成15年(2003年)11月30日。記憶も曖昧になってきているが、その後どうなっているだろうとずっと気になっていて、2009年春と夏、駅跡を一つずつ訪ねてみた。

 太田川の流れは変わらないが、それぞれの駅の姿は人の一生のそれに似てさまざま。時の流れをひしひしと感じる。


 2010年春再訪。写真等追加。

 2011年春再訪。写真等追加。

 2012年春再訪。 写真等追加。

  2013年4月1日再訪。写真等追加。
   
  今年は全国的に桜の開花が10日前後も早く、急いで恒例の可部線廃線跡  を訪ねた。ちょうど満開の花々に出合えた。
  余談ながら、6回目の干支を迎え、このところ毎年のようにどこかで同窓会  やクラス会に参加するが、友人知己の訃報に接することが多くなった。昨年は 秋、今年は5月と続くことになるが、「年年歳歳花相同じ 歳歳年年人同じから ず」の思い一入である。       

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河戸駅
 この地域の可部・河戸駅間電化延伸の願いは今も根強い。平成6年「電化期成同盟会」を結成、廃線後もイベントや先進地視察など、まちづくりの活動の一つとして引き継がれてきた(「電化期成同盟会15年間活動概要」)。ただ、実現には30億円から40億円もかかるとか。

 2011年2月、可部線がこの駅の先まで1.7km復活することが決定された。なんともうれしい。早速このブログに「可部線の一部が復活」として付け加えることにした。
                       (2009.4.3)                   
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2012年4月12日

  市は2011年度に電化延伸工事に着工しようと予算
 を計上したが、踏切問題が浮上し難航している。概略
 は「可部線の一部が復活」に掲載した。

2013年4月1日

  去る2月1日、JRと広島市が可部線の電化延伸を合意した。
  旧河戸駅の入り口近くに看板が掲示されていた。

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今井田駅
 ほとんど自然に返ろうとしているかのように見える。
 廃線敷の活用について、広島市は市民から提案を募集するなどにより再生ビジョン「可部線メモリアル街道」を策定、協議会で検討が続けられている(広島市HP)。
 このあたりもサイクリング道や自然散策道の一部としてよみがえる日がくるのだろうか。
                      (2009.4.3)
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2010年4月10日

  筒瀬橋から県道につながる道路を工事している。
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2011年4月17日

  完成した河川管理道路。左手が筒瀬橋。この辺り
 一帯は数年前の水害で浸水し、護岸工事が行われ
 た。
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安芸亀山駅
 線路よりも低い位置をなべ底を這うように通っていた県道を、廃線敷の位置までかさ上げし平らにするための工事が進んでいる。プラットホームが埋まろうとしている。
 猪がよく出てくるようになって畑を荒らして困りますと、近所の人が嘆いていた。
                      (2009.4.3)
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2011年4月11日

  県道がきれいに整地されている。駅の標識など廃線
 跡 をうかがわせるものはかけらもない。空っぽのバス
 が追い 越していった。右手の小高い場所にあった商
 店は戸が閉まっている。
       
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2012年4月12日

  昨年来たとき閉店したのかと気になっていた商店が
 開いているので寄ってみた。高齢の女性が二人雑談
 でもしていた様子。
  「線路の跡地を県道にするということで11年前この
 すぐ下から移ってきた。駅前の桜の木を一本だけ残し
 てもらった(今日は満開)。地元の者で県道沿いに桜
 を植えさせてほしいとお願いしたが断られた。線路跡
 をサイクリング道路にという話もちょっと聞いたことが
 あるがどうなったのやら。県道はいまだに工事してい
 ます。太田川の鮎釣りも見なくなったし、周りには26
 軒あるが年寄ばかりで、子どもといえば市内へバス
 通学している高校生の男の子一人だけでさびしいこ
 とです」という。
  山越えして広島北インターへ通じる道を整備中らし
 い。今日も偶然空っぽのバスと出会った。
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2013年4月1日

  道路整備が完成。左側(川側)はがれきが整然とうず高く積まれている。殺風 景なことだが、いずれ桜並木にでもなれば地元の人たちの願いがかなうのだ  ろうが。
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毛木駅
 道路から引っ込んでいて、民家と崖との狭い場所に挟まれたような駅だったので、転用のしようもないまま原型を留めそうに見える。
                       (2009.4.3)
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2011年4月17日

  毛木駅から飯室駅に通じる道路は、一段高い線路と
 太田川にはさまれ、ボトルネックになっている箇所を通
 って国道191号に通じていた。廃線と同時に道路も長
 い間通行止めになっていたが拡幅され開通していた。
 

安芸飯室駅
 駅舎、島式ホーム、線路、信号機などが残っている。可部線の一部を切り取って大きな額縁に収めた一幅の絵のよう。このままで立派な記念公園。
 列車が行き違いする駅だった。
                     (2009.4.3)
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布駅
 昭和21年までは可部線延長のための資材置き場だったということからか構内が広い。数十年前の姿に戻ったということかもしれない。
 プラットホームに大型ゴミのようなものが積まれていて何かもの悲しい。
                   (2009.4.3)
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小河内駅
 このあたりはかつて太田川の増水で国道が冠水し死者さえ出たことがある。このため国道を約3mかさ上げすることになり、廃線敷を仮設道路に転用、国道際にあったコンビニも仮移転の工事が進んでいる。斜面に群生していた芝桜は見る影もない。
                   (2009.4.3)
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 「レールなきホームの跡に桜舞い 可部線廃止後六年を経ぬ」
     (読売新聞「ひろしまよみうり文芸に掲載)


2010年4月10日

  仮設道路の工事が着々進んでいる。コンビニは昨年
 7月に開店。
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2011年4月17日

  左側が仮設道路。線路跡そのままに緩やかにカーブ
 している。右側が国道191号。写真奥の左手から太田
 川に合流する小河内川に橋脚を工事中。
  コンビニでトイレを借りようとしたが、仮設なのでない
 んですよと申し訳なさそう。
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2012年4月12日

  かさ上げされた国道がほぼ完成。仕上げ工事中。
  仮設道路は閉鎖。
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2013年4月1日
  国道が完成。仮設道路の舗装ははがされ更地になり、桜の木は広場に取り 残された記念樹のよう。
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 ここまでが広島市で、次の安野駅は安芸太田町。水内駅でまた一駅だけ広島市分になる。
      
 旧道へ入って、今にも列車がやってきそうな鉄橋をくぐって行くと間もなく安野駅。
                     (2009.4.3)
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安野駅
 「安野花の駅公園」になっている。キハ58554が静態保存され、桜やレンギョウなどが咲いていて、たくさんの人で賑わっている。
 「猫の駅」で話題になったことがある。人を恐れる様子もなく悠然と寝そべっている猫を若い女性が二人、愛おしそうに見つめていた。
 花祭りのイベントでトロッコを走らせたが、地域のボランティアが高齢化し、運営には骨が折れるとか。手前にトロッコの車庫がある。
                    (2009.4.3)
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2012年4月12日

  ディーゼルカーの後ろ方向は、桜とレンギョウが
 満開。昨年は桜が散り始めていた。
  この見事な通りは最近整備したのだろう。「緑の募金助成で植栽しました。平成22年度」の手書きの看板が立ててある。
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水内駅
 湯来町が広島市と合併(2005年4月25日)したときの約束で、駅跡は広々とした公園として整備された。写真の右奥には児童公園や立派なトイレ、反対側には水内交流センターがある。
                    (2009.4.3)
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坪野駅
 原形もとどめず道路になろうとしている。
 向うに安野発電所(出力13600kw)が見える。
                       (2009.4.3)
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駅跡から500mのところに儲けられている「国鉄2万キロの碑」が菜の花に埋もれている。
                          (2009.4.3)
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2011年4月17日

  坪野から延びる道路工事と関係があるのか「国鉄2
 万キロの碑」(昭和29年 1954年3月)掘り起こされている。埋め戻してくれる
 とは思うが・・・・・・。
              
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2012年4月12日

  線路跡はきれいに舗装され立派な町道になった。
 向こうは発電所に通じ、手前は国道に合流する。
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  合流地点の手前三角地に丁寧に移設された碑。
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  碑のあった場所の盛り土を見ると、移設はよほど最
 近のことのようだが、聞いてみようにも誰もいない。
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2013年4月1日

  夜桜見物でもしたのだろうか、碑の向かいの桜の木に提灯が下がっている。

  合流地点から太田川上流方向を見る。左手の対岸
 に吉ケ瀬発電所がある。
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田之尻駅
 元の姿のまま。道路を挟んでトンネルがある。トンネル跡は、権利関係が曖昧だったりして一般に利用がなかなか難しいとか。
(2009.4.3)
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(2009.4.3)
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2012年4月12日

  昨年まで残っていた短い鉄橋がなくなっていた。

津浪駅
 廃線前、駅名にちなんでサザンオールスターズを呼ぼうと話題になったり、駅の近くの空き地に記念の桜を植樹するイベントもあった。私の植えた1mあまりの小さな苗木が驚くほど大きくなり、満開となっていて感激した。地域の方が大切に水をやってくださっていたのだろう。
 プラットホームに立つと、最後の日の夕方、「ありがとう」の歓声の中、呆然と列車を見送ったことを思い出す。
 駅跡の活用については、国道際の朝市などとあわせ地域で熱心に話し合われていると聞きうれしい。
 広島方向に山陽自動車道が見える。
(2009.8.12)
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 駅の近くに植樹した桜が咲いている。
(2009.4.3)
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2010年4月10日

  ホームがなくなって 「津浪地域交流施設を整備中」の看板が立っている。
        
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 津浪駅ではおもしろいことがあった。
 廃線間近のある日の夕方、沿線の写真を撮り終えたので地酒でも買って帰るかと津浪駅の隣にある小店(今もある)に入った。と、4、50歳ぐらいの女性と店の主人との会話が耳に入ってきた。女性が、「可部に行くバスか汽車がありませんか」と聞いている。店の主人が素っ気なく「当分ありません」と答えると、女性は「困ったわ、困ったわ」とうろたえ始めた。
 私はとっさに、「これから広島へ帰るから私の車に乗りませんか。」と声をかけた。女性はすぐに私についてきた。
 後部座席に乗った女性に行き先を問うと、「すみません。可部の亀山です。」と言ったきり黙りこんでしまった。私も黙って車を走らせる。川に沿った谷間に日暮れが近づいてきた。女性がなんとなく身を硬くしているようで重苦しい。うかうか怪しげな男の車に乗ってしまったと後悔し、警戒しているのではないかなと、だんだん落ち着かなくなってきた。私は「今日は列車の写真を撮りに来たところです。いい写真が撮れました。」などと、どうでもいいことをしゃべる。女性も話し始めた。聞けば家庭の主婦で、「バスセンターから乗ったバスのなかで眠ってしまい、目が覚めたら来たこともないあんなところだった。考えてみると自宅の近くを通らないバイパス経由に乗ったような気がする。仏さんに会ったようだ。」という。なんのことはない、どうしてバスを乗り間違えたのか懸命に思い出そうとしていたらしい。
 自宅の近くで車を止めると、女性が「お名前は?」と聞く。別に隠すことでもなかったが、「仏様」のまま笑って分かれた。
 とはいえ見ず知らずの女性と顔も合わせず会話をするのは気骨が折れる。
 2年後の2005年4月、今度は私が信越線の横川駅でバスに乗り遅れ、八王子ナンバーの車の男性に拾ってもらうことになった。功徳(?)を積んでおいたおかげだろうか。このことは2008年のブログ、「親切な人」に書いた。


2011年4月17日

  昨日オープンしたという特産品販売・交流施設「ぷらっとホームつなみ」。
 こじんまりとした民家風なところがいい。
  開場イベントが催されたらしい。残りものの「蒸気饅頭」を買う。名前のいわれ を聞いてみたが誰も首をかしげるばかり。
  コーヒーもおいしい。おじさんが女性に手ほどきを受けながら慣れない手つき でレジを打ったり、にぎやかにうどんをゆでていたり、地元の人たちが一生懸  命来客の応対をしている。繁盛してほしいものだ。
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 桜を見に行ってみた。一回り大きくなったようだ。
    
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可部線廃線跡を訪ねる その2へつづく    

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