第39回目の旅 2008.9.7(日)-9.10(水) 甘木鉄道 高千穂鉄道(廃線) 西南の役

どんな旅
 
 第37回目の旅で余った青春18きっぷ2回分で、3セクの甘木鉄道や高千穂鉄道(廃線)に寄り道しながら念願だった西南の役の史跡を訪ねた。
 文章はほぼ妻宛のメールを転記。

初めて乗った線

 甘木鉄道 全線(基山ー甘木)
 西日本鉄道甘木線 全線(甘木ー宮の陣)
 同上 天神大牟田線の一部(宮の陣ー西鉄久留米間)

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          (地図をクリックすると拡大できます)
          赤細線 : 今回のコース(普通列車分)
          赤太線 : 初めて乗った線

1日目 9月7日(日) 甘木鉄道
 
 大町発8:01 5回乗り換えて基山14:50着。甘木鉄道に乗る。子どもが「レールバスが来た」とはしゃぐ。車体に卑弥呼の絵。終点の甘木駅の観光案内所で水前寺海苔を買う。店の女性が、私はあまり食べません、高いですからという。

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                    (甘木鉄道)

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                 (甘木鉄道 甘木駅)


 5分ほど歩いて同じ名前の甘木駅から西鉄で久留米まで行き、JRに乗り換えて玉名から今夜の宿立願寺温泉へ。

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                   (西鉄 甘木駅)

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                   (西鉄 甘木線)  

 
 鹿児島本線の沿線はH23開通予定の九州新幹線の工事がたけなわ。
      (19:15送信)    364.8km(JRのみ)


2日目 9月8日(月) 横平山 田原坂 熊本城

 昨夜のホテルは禁煙室ではなかったので覚悟はしていたが、たばこの臭いには参った。その代わり湯は流れるほど豊富でよかった。

 早めに朝食をとり、タクシーで西南の役の激戦地菊池川の高瀬大橋付近へ行く。西郷隆盛の弟小兵衛が弾丸に当たって死に、戸板で運ばれたところ。絵入りの案内板が立っている。政府軍のいた繁根木神社も。

 木葉(このは)から、西南の役のことならこの人というタクシー運転手のガイドで高月官軍墓地(980人もの墓石が建てられている)、官軍本営跡、正念寺(官軍病院跡。日赤発祥の地)を経て横平山に登る。140mあまりの小高いみかん山。激戦地。ふもとには血に染まったという池もある。目の前の谷(舟底?)の向うに田原坂、木葉山、後ろに半高山(吉次峠も激戦地)が一望できる。このあたりがそうだったのかと思いを巡らせているうち、写真を撮るのを忘れてしまった。

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          (地図をクリックすると拡大できます)
          赤細線 : 今回のコース(普通列車分)
          赤太線 : 初めて乗った線
 
 七本官軍墓地、薩軍墓地(台場跡でもある)から田原坂を通って資料館へ。話に聞いていた「弾痕の家」や空中かちあい弾など百聞は一見にしかず。心行くまで見て回り納得。

 運転手が、きのうは新潟県の長岡からお客がありましたという。同好の士かな。
 (長岡=河井継之助=司馬遼太郎の「峠」を連想するのも18きっぷの旅のおかげ。河井継之助という名を初めて知ったのは、持ち歩いている「駅-JR全線全駅」に記念館があると書いてあった只見線の会津塩沢駅だった。)

 資料館で流れていた「あめーえはふーうるふる、じんばーはーぬーれーるー・・・・」のメロディーが耳の奥で繰り返す。

 資料館から田原坂駅まで徒歩。下り坂だったが30分もかかった。暑いのなんの、顔からも汗。資料館へはこの駅で降りるものと思い込んで歩いて行った人がいるそうで、へとへとになって見物どころではなかったとか。罪作りな駅名。
 (新品のキャリーバッグのキャスターが磨り減って動きにくくなり、帰ってからキャスターを交換。3千円也。この坂も原因だろう。)

 熊本城を初めてま間近に見上げた。まことに堂々。天守閣から西南の役の激戦地「段山」を眺めたり展示物に気をとられているうち、最近復元されて話題の本丸御殿をゆっくり見なかったのは失敗。人があまりに多かったこともあるが。今度行くときの楽しみ。

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                    (加藤清正像)


 しばらくは左手に阿蘇の雄大な景色を見たりしながら5時半過ぎ高千穂着。食事つきの宿だったので風呂に入ってビールを飲んだら7時過ぎには寝てしまった。8時からの夜神楽見物はやめ。
  (メールを保存し、翌朝6:54送信)    24.5km(JRのみ)


3日目 9月9日(火) 天岩戸 高千穂鉄道(廃線)
 
 アシストつきレンタサイクルで高千穂鉄道の高千穂駅へ行く。この鉄道は五ヶ瀬川の水害でH17年事実上廃線。今朝の宮崎日日新聞に、写真つきで「車体7台年内解体」の記事。来年3月会社を清算。JRに乗るのを優先してきたばかりに乗り損なってしまった。

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                     (高千穂駅)


 駅の近くにある官軍墓地に通じる細い道をお年寄りが数人掃除している。お参りしてから天岩戸神社へ。深い谷の対岸に見える天岩戸は神域ということなので、お祓いを受けてから遠望。阿蘇の溶岩でできた穴だったが、崩落したそうで、大きな山襞のよう。なーんだというようなちょっと厳粛なような。天照大神が岩戸にお隠れになったので八百万の神が集まって神議したという天安川原へも行ってみた。なんだかそれらしい大きな洞穴があった。古事記などの知識があれば思いも違うかも。

 帰り道は高千穂鉄道の鉄橋(150mもあって有名)を見たくて山沿いの道をたどる。ところが地図(といってもイラストのようなものだが)が間違えていて山道に迷い込み、自転車を押して歩いていくうちばてて座り込んでしまった。もっと早くあきらめて引き返せばよかったようなものだが。レンタサイクル屋のおばさんがオロナミンCをサービスしてくれた。

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               (高千穂橋梁 上流側から見る)


 延岡行きのバスはたまたま高千穂鉄道沿いの旧道を行く旧道経由便だった。線路は勿論鉄橋にまで雑草が生い茂っていて胸が締め付けられる。頭上高く大きな橋が谷を一跨ぎしている。

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                 (雑草の生い茂る鉄橋)

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              (高千穂鉄道延岡駅のお知らせ)

 延岡15:20着。観光案内所で、薩軍が最後の軍儀をした俵野(ひょうの)について聞くが要領を得ない。タクシー会社へ行ってみると片道3千円ぐらいとのこと。バス会社は近くまで行く市内バスがあるという。これに限るとガラガラバスに乗ると、下校中の小学生が乗ってきた。和田越(激戦地)に来ると、ここで亡霊が出るとか鉄砲の弾が見つかったなどと解説してくれる。お目当ての可愛岳は運転士が教えてくれた。薩軍はこんなに険しい山をよじ登って敗走したのだ。

 俵野まで行くには時間が足りないことが分かり北延岡から電車に乗ることにする。朝夕3本しかない宗太郎越の貴重な普通列車。ベンチで寝ていた男性が教えてくれた通りトンネルの手前で薩軍の陣屋跡を見ることができた。これで十分。偶然かどうか西郷さんの話になると誰とでもよく通じるのには驚く(男性の場合だけのような気もするが。小学生もそうだった。)。
 
 今夜の臼杵の宿は大変行き届いている。ちょっと珍しいほど。壁が多少薄いのか人声がするが気にはならない。汗でどろどろのからだを流し、かますの塩焼きに舌鼓。もう寝る。   (22:02送信)   82.1km(JRのみ)


4日目 9月10日(水) 臼杵石仏 

 宿の人が車で石仏へ連れて行ってくれた。国宝。見応えあり。

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                      (石仏)

 市内には武家屋敷などが残っている。城は大友宗麟の居城だったとか。宿の人が、西南の役のことが載っていますと新聞の切抜きを持ってきてくれた。旧士族800人で急きょ編成した臼杵隊は、精鋭の薩軍伊東隊に惨敗し、前途有望な青年43人を失ったと書いてある。

 臼杵発10:14  国東半島を越える杵築・宇佐間は普通列車がつながらなくて15分間だけ特急に乗車。700円也。大町19:11着の予定。  
(15:05送信)     392.2km


 






この記事へのコメント

東海のどら猫
2015年10月18日 19:32
高千穂鉄道懐かしくもあり残念でなりません。国鉄時代に乗車したのが最初で最後でした。高森線とつながっていたら廃線は回避出来たかも。JR北海道が試作したDMVが実用化していたらと思います。せめて高森線がいつまでも存続する事を願わざるをえません。

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