第37回目の旅 前編 2008.7.28(月)-8.2(土) 江差線、函館本線の乗り残し部分など

<前、後編を通して>
 「宗谷本線以外は全線普通列車に乗った」と吹聴してきたが、勘違いしていたことに気がついた。江差線の木古内ー五稜郭間と函館本線の大沼ー森間は特急列車しか乗っていない。飯山線と高山本線には代行バスで通った区間があって心残り。JRから3セクに移行した線には廃線に追い込まれている例もある。今のうちに乗っておきたいなどと考えているうちに欲張りな旅になった。
 初め7月28日ー8月5日だった旅程を都合で中断し8月7日まで延長したので、8月2日を境に前、後編に分けて整理した。
 今回は珍しくスケジュールに変更が重なった。


どんな旅(前編)
 乗り残し部分に乗るついでに20年ぶりに山線と呼ばれる函館本線の長万部から小樽へ足を伸ばした。函館では念願だった高田屋嘉兵衛の足跡をたどり、3セクに移行した旧東北本線もしばらくぶりだった。
 前編の文章は、日記代わりに書き送った妻宛のメールをほぼそのまま転記した。

初めて乗った線(普通列車で)
江差線の一部 (木古内ー五稜郭間)
函館本線の一部 (大沼ー森間)

青い森鉄道 全線(八戸ー目時)
IGRいわて銀河鉄道 全線(目時ー盛岡)
阿武隈急行 全線(槻木ー福島)
山形鉄道 全線(赤湯-荒砥)



1日目 7/28(月) 落雷
 
 大阪に着く前から空が真っ黒。雷と大雨。大阪発17:47の寝台特急「日本海」は、北陸本線が落雷でシステムダウンし運休。車内で食べるつもりだった弁当をホームで食べながら、東京回りに切り替えたらどうなるかななどと考えながら待つこと1時間。特急「サンダーバード」で金沢まで行ったら「日本海」に接続しますと放送があり、1時間遅れの「サンダーバード」にさっき乗ったところ。「先は分かりません。回復するものとの見込みで運転します。連絡の入るつどお知らせします。」と車内放送。京都に入る手前で早くも徐行中。今夜のニュースを注目のこと。やれやれ助かったと思ったが・・・・・・。(7/28 18:55送信)

妻からの返信 
 「それは大変。こちらもいきなり雷とスコールのような雨でした。でがけに窓を閉めておいてよかった。では気長に気をつけて行ってらっしゃい。」

(気長にねえ。まあ急ぐ旅でもないが・・・・・。)

 福井で上り大阪行き「トワイライトエキスプレス」と交換。10時間遅れていることになる。西金沢で信号停車。「金沢駅のホームが一杯で入れません」とのアナウンスで車内に笑いが起こる。立ち詰め。眠い。普段ならもう寝る頃。遅れに遅れて金沢着22:29。「日本海」は待っているかな?(メール保存)


画像

              (「日本海」 金沢駅)


 「日本海」は0:00ちょうど、2時間遅れでやっと金沢をでた。
 北陸新聞の夕刊によると、早朝から1時間に100ミリ以上の集中豪雨で、おんな川といわれる浅野川が5年ぶりに洪水になったと。何とか温泉ではあっという間に胸まで水が来てプールのようだったそう。濁流の写真が紙面をうめている。(メール保存)


画像

           (地図をクリックすると拡大できます)
           赤細線 : 今回のコース(普通列車分)
           赤太線 : 初めて乗った線


2日目 7/29(火) 朝の車窓 函館

(笹川ながれ)
 カーブがよほどきついのかぐらぐら揺れるし、車輪がキーキー鳴るやら寒いやらで5時過ぎ目が覚めた。普段なら起きる時間だが今日はちょっと。ブラインドを上げてみると波の荒い海沿いを走っている。笹川流れのあたりらしい。シンボルのラグビーボールを立てたような大きな岩が車窓一杯に迫ってきた。なんと幸運。粟島も見える。さっき無理やり起こされたのは、「寝ている場合じゃないでしょ」という「日本海」の親切だったかもしれない。平常運転なら2時半頃で見ることはできない。この風景は2度目だがやっぱり得した気分。(メール保存)

 6時、鶴岡で男の子と私と同年輩の男性が降りる。有耶無耶の関あたりが車窓の後ろに見える。象潟は3度目。「奥の細道」を歩きたいといっていたHさん、夢はかなったかな。

(むすび)
 秋田の手前から眠くなったが、寝入ったと思ったらすぐ車掌に起こされた。弁当をどうぞという。列車遅延のお詫びらしい。ウーロン茶とむすびが二つ。たらこと焼き梅。あきたこまちなのかうまい。210円也。非常食の堅パンで朝食を済ませたばかりなので食べ過ぎになる。今日の昼食は抜き。そろそろ弘前。弘南鉄道には乗りそこなった。以後の予定には変更ないはず。11:08青森着の予定。 (7/29  10:41 昨夜分とまとめて送信)

(木古内ー五稜郭間の普通列車は思いのほか混んでいた。)


(高田屋嘉兵衛資料館など)
 2時前函館着。ホテルに荷物を預けるとすぐ嘉兵衛資料館と北方歴史資料館を回る。規模は小さいが充実。どっく前まで電車。このあたりに高田屋があったそうなので。帰りは海沿いに歩き、嘉兵衛の銅像、赤レンガ倉庫群(おもしろい)など1時間。夕食はホテル推奨の居酒屋「嘉兵衛」で鮨。うまい。店主は嘉兵衛の末裔とか。
 風呂に入って洗濯したあとすぐに寝る。(メール保存)

(遅まきながら司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読み、春、淡路島の「嘉兵衛翁記念館」も訪れた。すごい日本人がいたものだ。)


画像

             (高田屋嘉兵衛資料館)

画像

            (高田屋嘉兵衛の銅像と函館山)
                               1183.8km



3日目 7/30(水) 朝市 函館本線

(3色どんぶり)
 3時半目がさめる。洗濯物が乾いていない。困った。今夜乾燥機で乾かそう。
 朝市で朝食。ホテル代に含まれている。うに、いくら、生さけの3色どんぶりミニ。わかめの味噌汁、小鉢つき。いける。市場でトマト一つ。「10円でいいよっ」と、元気なおばさん。昼食用に生で食べられるというハニーバンタムとうもろこしも。
 今朝も寒い。天気予報では日中も20℃。(7/30 7:00 昨日分とあわせ送信)


画像

           (地図をクリックすると拡大できます)
           赤細線 : 今回のコース(普通列車分)
           赤太線 : 初めて乗った線

(大沼ー森間)
 七飯で藤代線(函館本線の一部 七飯ー大沼間 勾配を緩和するため設けられた。)が高架で分かれていくのは見届けたが、大沼の手前で合流するところは見逃してしまった。残念。 期待した駒ケ岳は見えず。

(これで残りは正真正銘宗谷本線だけとなりすっきりした。)

(いかめし)
 森でいかめし。昼食用のつもりだったがまだ10時というのに急に空腹を覚え食べることにした。なんとうまい。デパートの物産展のものとは全然違う。まだ温かい。売り子のお兄さんは、「うちでは電車の時間に合わせて作っていますから」という。

画像

             (いかめし 小ぶりなのが2匹入っている)

 途中駅で「北斗星」が3時間おくれで追い越して行った。(メール保存)

(長万部)
 長万部の駅前は大きな道路ができていて様変わり。10年ぐらいもめて最近開通したとのこと。鮨屋もこぎれいな店に生まれ変わっている。義兄さん達と一緒にそばを食べた駅前の店も健在。戸がしまっているのでつぶれたのかと思ったが今日は水曜日で休み。
      

(羊蹄山とニセコアンヌプリ)
 羊蹄山が近づくにつれ空が晴れ上がってきた。何度見てもいい山だ。ニセコアンヌプリも見える。20年前、雪に覆われ神々しいほどに美しかった姿を思い出す。森が深い。
お客のほとんどは大きな荷物を持った旅行者のよう。

画像

              (ニセコアンヌプリ 駅を出るともっと見事)

画像

             (羊蹄山 ニセコアンヌプリよりも手前から見え始める)

(小樽)
 列車が小樽へ向ってどんどん下りていく間に、港に「飛鳥」が一瞬見えた。
 小樽ではやっぱり手宮の交通博物館(去年リニューアルして総合博物館)へ行き、「静」に会ってきた。
 バスで帰る途中「飛鳥」の汽笛が大きく鳴り響いた。やっぱりいずれ乗りたいものだ。
(去年広島港から乗った「にっぽん丸」2泊3日奄美クルーズがよかったので)

画像

             (小樽駅 天井のランプの飾り)

画像

              (静号)
                          297.2km

(新札幌)
 電車で札幌を通り過ぎ新札幌のホテル泊まり。少し高いと思ったが楽天で探してほかになかったから。ビジネスホテルではないのかコインランドリーがない。湿ったままビニール袋に入れて持ち歩いた洗濯物は大丈夫そうなのでそのまま部屋に干す。
 ジンギスカン料理の店を教えてもらう。安くてうまい。(メール保存)


4日目 7/31(木) 開拓の村、登別など


(百年記念塔)
 ホテルの下がバスターミナルなので朝はゆっくり。バスで開拓の村へ行き、9時の開門と同時に塔に歩いて登る。8階まで121段。あごを出した。南に札幌の街、北は3市にまたがる広大な野幌原野。こんなところを人手で開拓したのかと思う。馬車鉄道にも乗ってみた。道の両側に開拓当時の民家や店などが復元されていて実におもしろい。おかげで駅まで帰る間電車に遅れないかとひやひやした。

画像

             (開拓の村 百年記念塔)

画像

              (馬車鉄道)

(白老 登別)
 苫小牧駅のロッカーにバッグを預け、白老のアイヌ民族博物館と登別温泉。地獄谷を見物し第一滝本館の日帰り湯。聞いていたが風呂の大きいのには驚いた。いい湯だった。泊まってみたいが・・・・・・・。

画像

              (アイヌ民族博物館)

(八戸行きフェリー)
 今日は午後からずっと小雨。少し風もある。海が荒れませんように。この船は名古屋や仙台に行くのに較べだいぶ落ちる。でも船旅は良い。明朝4:45八戸着。(7/31 21:24 前日分とあわせ送信)
                               141.3km

5日目 8/1(金) 経路変更  


 3時半起床。船は少し揺れ、大きな波を乗り越え乗り越えしているのを体に感じる。それでも一度トイレに行っただけで熟睡。
 八戸港からは声をかけてきた若い人と八戸駅までタクシーに相乗り。   (メール保存)

(列車遅延)
 今日はもと東北本線だった3セクの青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道、それに由利高原鉄道が目的。
 先月の地震(7月24日 岩手沿岸北部地震)で列車が遅延気味と聞いている。盛岡で乗り換えに9分しか余裕のない秋田行き「こまち」にうまく接続するかどうかが問題。八戸の駅員も列車の運転士も途中の三戸までに10分から12分ぐらい遅れ、回復できても3,4分ぐらいですという。運転手は「がんばってみましょう」と言ってくれたが結局だめ。車掌が申し訳なさそうにきっぷに8分遅延と証明してくれた。
 奥中山高原ー御堂間を、正面の車窓から堪能したから満足。

 今夜の宿赤湯へは仙台、福島経由で行くことに変更。
(初めの計画は、盛岡ー秋田ー羽後本荘ー<由利高原鉄道>ー酒田ー新庄ー山形ー赤湯)

画像

           (地図をクリックすると拡大できます)
           赤細線 : 今回のコース(普通列車分)
           赤点線 : 初めて乗った線


(きっぷの払い戻し)
 盛岡駅のみどりの窓口で「こまち」の特急券と乗車券を払い戻してもらう。女性職員が奥で確認したりして多少手間取りながらもてきぱきと処理してくれる。6150円。ついでに「日本海」の特急券の払い戻しも頼む。3150円。うん?余計なことながら「ジパングなんですがいいですか?」と言うと、もう一度奥で確認し、にっこりと微笑みながら、「大丈夫です。」という。ジパングで3割引で買っているので1000円ばかり儲かることになる。遅延のお詫びはむすびをサービスしてもらったからもうすんだと思ったのに重ね重ねで申し訳ないようだ。

 盛岡からの東北本線も、平泉あたりまでは時速40kmまでもスピードを落とし、ひどく遅れた。地震(7月17日 宮城・岩手内陸地震)の影響を実感。このところよく地震が起こるが・・・・・・。(メール保存)

 仙台から、開通間もない仙台空港線の電車を撮ったりしながら槻木(つきのき)で阿武隈急行に乗る。これも国鉄丸森線から3セクに移行していて、いずれ乗ってみたいと思ってはいたが、予習(?)もしないまま乗ることになってしまった。

画像

             (阿武隈急行 槻木駅)

(旅は道連れ)
 隣の席でおしゃべり中の女性二人連れが、どこからですかと話しかけてくる。一日乗車券で遊びにきたが、阿武隈川の川下りは水が少なくてだめだったとか。18きっぷの説明書きをあげると珍しがる。「インターネットはメンが悪いからできない。」というので思わず顔を見たら、「目です。顔も悪いが。」というので大笑いになった。「謙遜かと思いました。」と返しておいた。
 一人が「66のおばあさん云々」というので同級生と分かった。ときどき沿線のガイドをしてくれる。仕事を離れ、人生を豊かに楽しんでいる様子。
 福島の先には知人が案内してくれた伊達政宗ゆかりの二本松城もある。この一帯には日を改めてもう一度来てみたいような。

 峠駅で「峠の力餅」。これで3度目。楽しみにしていた。 
    
 米沢駅は来年のNHK大河ドラマ「天地人」のパンフレットと幟が氾濫している。直江兼続という人物は全く知らない。

 赤湯の宿は駅から20分ぐらいと聞いたので歩いた。30分以上もかかって大汗。昔風な温泉宿で、湯はよかったが水をうベルほど熱かった。(メール保存)
       263.7km(JRのみ)      

6日目  8/2(土)  山形鉄道 忘れ物

(ローカル線ボーイ)
 赤湯から、3セクに移行した山形鉄道フラワー長井線で終点の荒砥へ。
 方言ガイドで乗客確保に奮闘している運転手の書いた「ローカル線ボーイ」という本(2008.2.20発行 500円)を買う。テレビなどでも取り上げられ有名らしい。ちょっとおもしろい。頑張っている。

画像

              (ローカル線ボーイ)

画像

             (120歳の山形鉄道最上川橋梁 木曽川から移設)

 今日の昼食は昨日の「峠の力餅」。皮が少し硬くなっているところがまた良い。(8/2 12:19前日分とあわせ送信)


 (川崎に住んでいる娘が入院との連絡が入る。経過は良好で心配ないが、妻手伝いに行くことに。よって以後メールなし。)


 荒砥から今泉へ戻る。ここは宮脇俊三さんが駅前で終戦のラジオ放送を聞いた駅。気になるが・・・・・・・。

(忘れ物)
 新潟からの長岡行きは、花火大会に行く浴衣姿の女性たちで大混雑し遅延。やっとの思いで跨線橋を渡り電車に飛び乗ると同時に扉が閉まった。
 と、すぐにさっきの列車に「鉄道旅行地図帳(東北編)」を置き忘れたことにきがつき、すーっと冷や汗が流れる。またやってしまった。妻には命の忘れ物だけはしないで、とよく冷やかされる。今回は順調だったのに。
 運よく巡回してきた車掌に事情を話す。すぐ長岡駅へ連絡してくれることになったが間もなく乗り換え駅の越後川口に着いてしまった。携帯の番号などを書いたメモを持って最後尾まで走る。車掌は電話で長岡駅と格闘中だった。

 乗り換えの十日町で立ち上がったところに長岡駅から電話が入る。見つかったから後ほど鉄道電話で連絡するようにとのこと。ありがたい。すぐに走って跨線橋を渡り、やっとのことで列車に間に合った。自業自得とはいえ厳しい。

(越後鹿渡)
 18時前越後鹿渡着。珍しく2,3箇所の宿が一人旅お断りでここに泊まることになった。年季の入った温泉宿。ぬるめの湯、山菜料理、地酒、気のよい主人との四方山話に旅情を感じる。
 軒先に同志社大学鉄道同好会指定旅館の看板が掲げてある。このあたりは豪雪で知られる。蒸気機関車がロータリー車を押す風景を撮影に来ていた頃の名残。
 2年間派遣で勤めた千葉の研修所に、津南町の職員が多数受講にきていた。名前を言ってくれれば分かるはずなどと主人がいう。
 渓流釣りをするという二人連れが、早朝でかけていった。

 明日は予定を変更して娘の様子を見に行くことにする。私は役には立たないが。近くまで来ていたのも虫の知らせだろう。富山のビジネスホテルをキャンセル。                     170.0km(JRのみ)               (前編おわり)






 

 
 

  




 

 

 







 



 



 
 
 

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック