第4回目の旅 その1 2002.9.9(月)-9.10(火) 関西へ

プランのあらまし
 多少要領が分かってきた。1泊2日で関西と山陽を8の字を書くようにプラン。山陽本線の兵庫ー和田岬間、伯備線の新見ー備中神代間がむずかしかった。

その1(1日目)
  
普通列車で初めて乗った線
奈良線 全線(京都ー木津)
関西本線 一部(木津ー奈良間)
桜井線 全線(奈良ー高田)
和歌山線 全線(王子ー和歌山)
紀勢本線 一部(和歌山ー和歌山市間)
阪和線 一部(東羽衣・鳳ー天王寺間)
私鉄 南海本線 一部(和歌山ー羽衣間)

どんな旅
 まず京都まで行き、奈良、和歌山、大阪を通って舞子まで戻ってくるため、不本意ながら一部新幹線を使った。こういうのをワープするというそうだ。


 大町6:48発、姫路まで新幹線。新快速に乗り換え京都。

 京都10:37発。奈良まで快速なら40分あまりのところを、各駅停車は倍近くかかる。電車はやや色あせた鶯色の103系。端っこのホームからがらがらで出て行った。こういうのが良い。

 沿線は桃山城や宇治など名所旧跡も多いが、車窓は地味そのもの。複線単線交じりでうねうね曲がりながら行くのに比べ、近鉄は、複線でほぼ真っ直ぐにやってきて宇治を過ぎたあたりで並び、すーっと右に分かれていく。

 天井川のトンネルをくぐると玉水駅で、ホームのそばに水害記念碑(昭和25年)が建っている。そばに私の背丈ほどもありそうな岩が鎮座している。水に押し流されてきたのだそうだ。こういうこともあったのか。

 奈良駅で桜井線に乗り換えるときちょっと迷った。この先接続の都合でどうしても時間が空くから久しぶりの奈良で時間を使うか、それともどこかで途中下車してみるか。ちょうど昼時。名物の柿の葉寿しが目に入ったので迷わず買って電車に乗り、あっという間に平らげてしまった。

 発車すると京終(きょうばて)、帯解(おびとけ)など難読駅が始まり目が離せない。

 帯解は、パートナーである本、「駅 JR全線全駅 下」に、安産祈願で有名なお寺があると書いてある。6月に二人目の孫(女児)が生まれたばかり。順番が逆になったが、これはお参りしておかなければと反射的に途中下車する。

 閑散とした無人駅で、お寺はすぐ近くだった。美智子妃殿下が帯を奉納されたとのこと。読経が聞こえてくる。お参りしてよかった。
 
 この線は古代史線と呼びたいほどだ。例の本の記述は急に多くなり、しかも史実や寺社、万葉集など多岐にわたっていて、よく飲み込めないうちに(無知を思い知らされることでもあるが)、駅も車窓もどんどん移り変わる。

 三輪山が近づく。豪華な結婚式に参列したことのある三輪明神の本家本元はここだったのかと納得。次は香具山とのアナウンスであれが天香具山、畝傍駅が近づいたからあれが畝傍山かとビデオカメラで撮っているうち耳成山を見逃したらしい。耳成という駅はなくて(近鉄にはある)、右側の車窓だったとはあとで知った。なんということ。三山の位置関係ぐらいあらかじめ調べておこうものを。
 このあたりは電車であわただしく通り過ぎるところではないなとつくづく思ったことだった。
 (これを教訓に以後道路地図をパートナーに加えたのだったか、この頃はまだ地図を持ち歩いていなかった)。

 終点の高田で和歌山線に乗り換えて王子まで行き、水泳のUターンよろしくすぐ折り返し、高田をもう一度通って和歌山まで乗り通すことにする。

 この線は吉野口で近鉄、橋本で南海に出会い、北宇智にはスイッチバックもあったりした割には印象が薄く、ノートには駅名と発着時刻しか書き残していない。紀ノ川とは反対側の山側に座っていたうえ午後の一番眠い時間帯だったからかもしれない。

 終点の和歌山から紀勢本線で2駅乗って南海と共用の駅和歌山市へ。南海本線に乗って羽衣で降り、阪和線支線(羽衣線)の東羽衣まで歩き(駅同士は思いのほか離れていた)、鳳まで1駅乗ったあと大阪へ向うことにする。いずれ紀勢本線や阪和線に乗るときこの2か所に手間がかかりそうだから。

 6時過ぎラッシュアワーの大阪着。かつての新宿西口を思わせるようなあたりを歩いているうち繁盛している寿司屋が目にとまり夕食。こてこての関西弁と安くて美味しい鮨と酒でほろ酔いのまま舞子着20:38。寝過ごさなくて良かった。
 JRに南海をあわせ10時間近く車中だったことになる。
                   639.9km(JRのみ)

 

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